松山市中心部 国史記載の古社
雄郡神社
由緒
当社は国史見在の古社で、松山市小栗町に鎮座する産土神(ウブスナガミ・土地神様)氏神(ウジガミ・先祖神様)であります。
天宇受賣命の御奉祀年代が当社の起源ですが、余りにも昔のことで詳細は不明です。
その後、九州の宇佐より八幡三神を勧請し合祀しました。
慶長5年の関ヶ原役において当社守衛の武家が東軍の要請に応じ地方戦に参加していた間に、西軍の兵により社頭に放火された為、社殿・宝物・古文書のことごとくを焼失してしまいました。
それ以降、境内地は殆ど社領を離れ水田となっていき、仮宮が置かれていましたが、元禄6年に藩主の寄進により、現在の社殿が建てられました。
社格は元慶2年に従五位下を授けられました。
また、後三條天皇の御代(1068~1073年)には伊豫守であった源頼義が河野経親に命じて領内に八所八幡宮を定めた時、当社をその一社として崇敬の誠を捧げたと云われています。
明治28年に県社に昇格し、昭和21年の神社本庁設立後は新しい神社等級として三級に叙せられています。
社名は、延喜元年編纂の国史『日本三代実録』に雄郡神(おぐりのかみ)とあり、八所八幡宮に定められた時より正八幡宮と称えていましたが、明治初年復旧して雄群神社と称し、明治35年旧記に基づいて雄郡神社に改めました。
また講中として、雄郡神社福運講を組織しています。
御祭神
天宇受賣命(アメノウズメノミコト)
天照大神が天の岩屋戸にお隠れになった折、世界を暗闇から救い出すために、岩屋戸の前で神楽を舞わられた神で、芸事・伎芸上達の神様として信仰されています。
また、天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)がご降臨する際の先導役も務められ、道中安全(交通安全)の面でご利益を受けることができます。
お多福さんの原型といわれており、3月の第1日曜には、福祭りを執り行い、みなさんに天宇受賣命の福をお頒けしています。
八幡神(ハチマンシン)
当社は、品陀和氣尊(ホンダワケノミコト・応神天皇)、帶中日子尊(タラシナカツヒコノミコト・仲哀天皇)、息長帶姫尊(オキナガタラシヒメノミコト・神功皇后)の三神をお祀りする八幡神社の分社であります。
品陀和氣尊(応神天皇)
学問上達・息災成長の守護神として御霊験が著しく、ご利益があります。
帶中日子尊(仲哀天皇)
品陀和氣尊の父君で、子孫繁栄の守護神でいらっしゃいます。
息長帶姫尊(神功皇后)
品陀和氣尊の母君で、勝運招聘・安産守護の神として厚く信仰されています。
境内社
※当社にある小さな社の多くは、氏子地域内にかつて在ったお社を道路拡張や宅地造営により撤去する際に移設されたものです。
愛宕神社(あたごじんじゃ)
火産霊神(ほむすびのかみ)、軻遇突知神(かぐつちのかみ)
伊邪那岐神・伊邪那美神の御子であり、火を司る神です。
竈の神として、また、熱病一切を癒し給う神として霊験著しい神様です。
金砂神社(かねひさじんじゃ)
金山彦命(かねやまひこのみこと)、天神様(てんじんさま)、和霊様(われいさま)
金山彦命は鍛冶金工並びに、地がための守護神として霊験が著しい神様です。
天神様は、もとは雷神として崇められていましたが、菅原道真公の生前の功績により学問の神として信仰されるようになりました。
和霊様は、伊達政宗の長男である秀宗に忠誠を尽くした宇和島藩の家老・山家公頼(やんべきんより)のことで、生前の功績から産業発展、商売繁盛の神として信仰が厚い神様です。
藤廼社(ふじのしゃ)
木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
愛媛県大三島に総本社がある大山祗神の御子です。
天孫・瓊々杵尊の御妃であります。
火を放った産屋で無事出産されたことから、安産守護と子育ての神として御霊験の著しい神様です。
弁天社(べんてんしゃ)
弁財天(べんざいてん)
七福神の一柱で、もともとは印度の河川神とされ、言語・文字の発明神、また音楽の神ともされ、知恵・弁説・財宝・福徳・長寿の守護神として信仰されています。
三光社
大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)
大国主神は、大地を象徴する神として崇められ、国造り・農業・商業・医療の神として信仰されています。
少彦名神は大国主神と協力して国造りをした神で、常世の神、医薬・穀物の神として信仰されています。
事代主神は、大国主神の御子で、託宣を司る神とされ、海の神、商業の神としても信仰されています。
祇園社(ぎおんしゃ)
須佐之男尊(すさのおのみこと)
天照大神の御弟神です。
大変に荒魂の強い神とされていますが、植林守護の神、向上発展の守護神、そして祇園信仰の悪鬼祟物を慰め退かせる守護神として霊験の著しい神様で、夏越祭の守護神であります。
稲荷神社
稲荷大神(いなりおおかみ)
食物神・農業神・商業神・屋敷神として霊験著しい神様です。
元々は、穀物・農業の神として崇められていましたが、現在では、産業全般の神として信仰されています。
境内図
①天宇受賣命
①品陀和氣尊(応神天皇)
①帶中日子尊(仲哀天皇)
①息長帶姫尊(神功皇后)
②火産霊神(軻遇突知神)
③金山彦命
③天神様(菅原道真)
③和霊様(山家公頼)
④木之花咲耶姫命
⑤弁財天
⑥大己貴神(大国主神)
⑥少彦名神
⑥事代主神
⑦建速須佐之男尊
⑧稲荷大神(宇迦之御魂神)
施設・記念碑
忠霊塔
明治以降の戦争で、国の為に亡くなった氏子の方々の魂を慰霊するために遺族会により建立された塔。
現在は当社にて管理しており、346柱をお祀りしている。
正岡子規の句碑(2基)
正岡子規は雄郡神社の氏子地域に生まれ、幼い頃よりお参りされていたようで、当社についての俳句を詠まれていたため記念に建てられた。
どちらの句も自選句集『寒山落木』に掲載されており、句碑の文字は句集の揮毫より作られた。
また、当社を指すと思われる「小栗神社」と前書きして、『朝夕に神きこしめす田歌かな』(明治25年夏)も詠まれている。
『御所柿に小栗祭の用意かな』
(明治28年秋)
『うぶすなに幟(のぼり)立てたり稲の花』
(明治28年秋)
雄郡小学校の記念碑
雄郡小学校の前身として、明治10年に当社の境内に「雄群学校」として創立。
後に小栗学校と合併し、小栗尋常小学校、雄群尋常小学校と改称した雄郡小学校の発祥の地であることを記念して、卒業生により立てられた。